そんな狡さを要《かなめ》に責められるのは覚悟のうえで、それでも私はきちんと彼と向き合うべきなんだ。 こうして離れてみても、どうしても要との未来を諦めることが出来ないのだから。 だけど、彼はそんな私を責めたりすることも無くて……「紗綾《さや》が一人で考えるのために必要な時間を、大人しく待つことくらいなら出来る。だが……お前が傍にいない時間が平気なわけじゃない、俺だってな」 私は自分が辛い気持ちで頭がいっぱいで、要の気持ちを理解しようとしていなかった。 彼なら私がいなくてもきっと大丈夫だと……そんな風に思っていたのに。 でも、要は私の事をこんなにも考えていてくれたんだわ。少しでも私が落ち着いて考えられるように、自分の辛さは全部我慢して。「要は、こんな自分勝手な女にまだ戻ってきて欲しいと思っている? 私はまだ答えを出せていないのよ。それでも貴方はまだ、私の事を受け入れてもいいと思ってくれているの?」「紗綾の事ならいつまでも待てるし、何度だって受け止める。その紗綾の抱えている不安も悩みも全て俺に話せばいい」 要の言葉は優しいのに相変わらず強引で。中途半端に逃げ出した私を、心ごともう一度捕まえにこようとする。「でも、私はまだ……」 私を捕まえようとする要に素直になればいいのに、まだ答えを出せずグジグジと悩む自分。そんな私を、要は強引に抱きよせて……「そうやっていつまでも迷うくらいなら、俺が紗綾の未来もすべて奪ってやりたい。そうすればお前は……俺を選ぶだろ?」 要《かなめ》の意思の強さに、私は抗う事なんて出来ないのかもしれない。 ……結局のところ私は心の奥底で、いつかこうなる事を望んでいたような気がするから。「もしもそれで貴方を選ばなかったら、どうするつもりなの?」 要はここまで望んでくれているのに、どうしてまだ彼の想いを確かめようとしてしまうの? 彼が示してくれる愛情を「もっと、もっと」と欲深に欲しがる自分が嫌になる。「……ならば、お前を攫って行く」「……え?」 普段は冷静で現実的な物の見方しかしない要の口から、予想もしないような事を言われて思わず聞き返してしまう。「これでも駄目なら、いっそ力ずくで攫ってやるさ。何度、紗綾《さや》が離れて行ったとしても……俺はどんな手を使ってでも、お前を捕まえてみせる」 もう……私がどれだけ悩んだ
横井《よこい》さんに今悩んでいる事を全て話せたせいか、午後の仕事はいつもより頑張れた気がする。 私が要《かなめ》と向き合えない事を、横井さんは強く責めたりしなかった。何度も「御堂《みどう》さんは待ってくれていますよ」と、私を励ましてくれて…… 彼女に少し応援してもらったことで、心が凄く軽くなり前向きになれそうな気がするの。 午後に仕事を終えると、横井さんに「お疲れ様」を言って人気の少ない二階の奥の休憩室へ。 私が飲みたいホットのミルクティーを販売している自販機があるのは、何故かここだけなのよ。 休憩室に誰がいるのかも確認せずに中に入ると、自販機の前にはよく知った後ろ姿……「要……」「そろそろ来る頃だろうと思っていた。紗綾《さや》は疲れてくると、このミルクティーが欲しくなるだろう?」 要は自販機からミルクティーの缶を取り出すと、そのまま私に手渡した。 まるで付き合っていた頃の様に、それが当然という顔をして。「どうして私に優しくするの? もう私たち恋人同士じゃないのに……」 要の気持ちは嬉しい、けれどまだ答えの出せない私は彼に素直に甘えることが出来なくて。「だからといって、変える必要なんかないだろ? 俺にとって紗綾が特別な相手だという事に、何も変わりはしないのだから」 要はいつも、自分の想いを隠すことなく伝えてくる。自分の愛情は、この先もずっと変わらないんだと言うように…… だから私も要に伝えなければいけないと思った。 自分の気持ちがもう少し落ち着いたら、二人できちんと今後の事を考えたいんだって。 私も要《かなめ》と変わらない、同じように貴方が特別な存在のままだと言えればいいのに。まだ曖昧なままの答えしか持たない私では、それを彼に伝えることは出来ない。 そんな私の沈黙を別の意味にとったのか、要は少し眉を寄せて言った。「紗綾《さや》はもう、こんな風に個人的に俺に構われることも迷惑なのか?」「そういう訳じゃないわ、私は要の事を迷惑なんて思わない。ただ、貴方に言いたいことをうまく言えなくて……それが苦しいの」 何とかそれだけを伝えると要は私をそっと休憩室の奥に連れて行き、そこに置いてあるソファーへと座らせた。「俺の我が儘で紗綾を困らせている事は、ちゃんと分かっている。けれどいまさら紗綾のいない生活は考えることが出来なくて……俺は今
「色んな事に自信がない、もちろんそんな主任の気持ちも分からない訳じゃないです。けれど、本当にこの答えで後悔しないって言えますか?」 後悔なら既にしているでしょうね。今だって要《かなめ》と話がしたいし、夜は彼に抱きしめられて眠りたい。少しだけでもいいから、プライベートな要の表情を見たい…… でも彼について行く自信が無いのも事実で、きっと私は去っていく要を引き止めることも出来ないの。「後悔は、しているけれど……今更、どうしようもないし」「何言ってるんですか、何もどうしようもなくありません! 御堂《みどう》さんは、きっと主任の気持ちが変化するのを待ってくれているはずです。本当は主任だって分かっていますよね?」 確かに要だったら待ってくれていると思う。分かっているのに、私は今もこうしてグダグダと悩んでいるだけで…… 結局、私はどこかで要に甘えたままなのかもしれない。 こういうのが良くないんだって考えて、別れる方を選んだはずなのに……「分かっているわ。でも私がしっかりしなきゃ、ただ単に要の負担を増やすだけだから」「……御堂さんがかわいそうです。主任に甘えて欲しい・頼って欲しいと思っているのに、少しも頼られず無駄に我慢する主任を見ていることしか出来ないなんて」 横井《よこい》さんに言われて、初めて要がどう思っているかを自分が考えていなかったことに気が付いた。 ずっと自身の事で、いっぱいいっぱいになっていたから……「……要がそんな風に?」「思っているでしょうね。御堂さんならずっと待っていると思いますよ、主任が御堂さんの事を頼ってくれるのを。それでもまだ、主任は一人だけで悩みますか?」 横井さんの言葉に、胸が痛くなる。この問題は自分だけで解決しなきゃいけない、そう思いこんでいた自分が恥ずかしい。 本当は彼女の言う通り、ちゃんと要と二人で話し合うべきだったのに。「そうよね、横井《よこい》さんの言う通りだと思う。でも私はまだ、自分の気持ちも整理できていなくて……」 こんなハッキリとしない気持ちのままじゃ、要《かなめ》と何を話せばいいのか分からなくて。 けれど一人の時間は寂しさで心がいっぱいになり、余裕がなくなってしまう。 それを思い切って、横井さんに素直に話してみると……「主任、しばらく私の部屋に来ませんか? 私の傍で御堂《みどう》さんの事を考
要《かなめ》の部屋を出てから手頃な物件を見つけるまでの数日間は、職場近くのビジネスホテルで過ごした。 仕事を生きがいにして、その間はずっと貯蓄しておいたから良かったけれど…… 要のいない一人きりの部屋。孤独な暮らしは慣れていたはずなのに、夜になると彼が傍にいないことが寂しくて仕方なかった。「どっちを選んでも、後悔しかしないのね……私は」 要は引き止めてくれたのに、それに応えることが出来なかったのは私の方。だから私が寂しいなんて思っててはいけないんでしょうけれど…… 彼は私の事を「決して諦めない」と言ったけれど、本社《むこう》での生活に戻れば私の事なんて、もう…… あれから要から電話もメッセージも来なくなった。自分から別れを選んでおいて私は何を期待しているのかしらね。自分の身勝手さに呆れてしまう事もあるけれど。 買ったばかりの安物のベッドに倒れこみ、瞼を閉じる。明日も仕事だから少しは休まなくては……手元の時計はもう二時を指している。「……大丈夫、大丈夫よ」 彬斗《りんと》君の時だって離れるのは辛かったけれど、時間が経てば傷は癒えていった。要の事も今は辛いけど、いつかはきっと…… 零れ落ちる涙を拭って、私は静かに眠りについた。 我が儘でごめんなさい。だけど夢の中だけでもいい、もう一度貴方と穏やかな時間が過ごせたらいいのに…… ーーーー 「もうすぐ復帰するはずだった、笹井戸《ささいど》課長のことなんだが……残念だが復帰することなく、今月末で辞められるそうだ」 朝礼時の部長からの言葉に私は戸惑ってしまう。要《かなめ》は課長代理としてここに来ているのに、課長が辞めてしまったらこれから彼はどうなるのだろう? それと横井《よこい》さんが言っていたように、要が課長の問題とやらを調査した結果がこれなのか? ……今の私には何も分からないまま。「主任、顔色……凄く悪いですよ?」 横で仕事をしていた横井《よこい》さんが手を止めて、私の方にそのまま伸ばしてくる。横井さんの熱を測るその手が優しくて、不安定な感情が溢れそうになる。「大丈夫よ、ちょっと疲れがたまっているだけなの。今度の部屋もすぐに慣れるから問題ないわ」「今度の部屋……それってどういう事です?」 しまった! 横井さん相手だからつい気を抜いてしまって……私はまだ横井さんにさえも、要と別れ
きっと要《かなめ》の中にも、ずっと迷いがあったんでしょう? 普段の貴方ならば、少しくらい強引に物事を進めてもおかしくなかった。 けれど要は私の今の生活を壊す事も、柊《ひいらぎ》社長の期待を裏切る事もきっと出来ないんだと思う。 私も今のままの感情では要に付いて本社に行くことも出来ないし、こんな風に貴方を苦しめながらここで付き合い続ける事も出来るわけなくて。 そうね。私たちはどちらを選んでも、きっと今は後悔すると思うの。「俺には……紗綾《さや》が必要だ」 分かっているわ。要がここまで私を探してくれたから、貴方に再会することが出来たの。こうしてまだ誰かを愛する事も出来るようになった。 全部、要が傍にいてくれたおかげ……「私だって要が必要よ? けれど……もう少し自分の事も貴方の事もしっかりと考える時間が欲しいの」「俺が本社に戻るまではまだ時間がある。だから……」 そうやって何より私を優先してくれる優しさを知っているから、これ以上は要に甘えられないと思ったのよ。 私の為に要がどんどん自分を犠牲にしていくのなんて、見たくはないから。「私は、このまま要の負担になる存在でいたくないの。もっと堂々と貴方の隣に立ちたいの、だから……」 ここまで言うと深く深呼吸をする。これからの事を考えると、怖くて不安だけれど……「今夜……私はこの部屋を出ていくわ」 一人暮らしの部屋はもう解約してしまった。 けれど新しく部屋を見つけるまでは、ウィークリーマンションでも何とかなるでしょうし。 ……多分、私達は少し離れた方がいいはずだから。「本気で言っているのか、紗綾《さや》。じゃあ、お前は俺と離れて平気だと……?」 要《かなめ》と離れて平気なわけじゃない。でもこんな気持ちじゃ、このまま貴方について行くことも出来ない。「お互い離れるのが平気かどうかなんて、そんな事で決める事じゃないと思うの。それでも要が今すぐ答えを出せというのなら、私はこの答えを選ぶ。それだけよ」 時間があれば私の中で出す答えも違ったのか、それはまだ分からないけれど……黙り込んでしまった要を見て、私は覚悟を決めた。「……要、あなたはどこかで少し時間を潰してきてくれる?」 もし彼がいれば、私はこの部屋を出る決心が鈍ってしまいそうだったから。めそめそ悲しんでいる顔なんて見られたくないもの。「……
「……ああ」 要《かなめ》はいつものように私の隣には座らず、椅子を持ってきて私の正面に座った。ちゃんとお互いの目を見て話をしようという事なんでしょうね。 要のその真っ直ぐな考え方、私は嫌いじゃないのよ。「ずっと要に聞く勇気の無かった私も悪かったとは思うわ。だけどこんな形で、それも……彬斗君から聞かされたくはなかったの」 狡い事を言っている自覚はあった。要だけが悪いんじゃないってちゃんと分かっているのに。 私もずっと怖がって本人に確かめないまま時間だけが過ぎて……それなのに、こうして他人から話を聞いてから要を責めてしまっている。「そうだな。俺が紗綾《さや》にきちんと話をしなければ、こうなるかもしれないと分かってはいたんだ。ただ……俺も紗綾からどんな反応をされるのかが怖かったのかもしれない」 要の言葉に、私は少し戸惑ってしまう。いつも自信に満ち溢れているような要がそんな風に思っていたなんて。「紗綾も聞いた通り父親が死んでから大学卒業まで、俺は母の再婚相手……柊《ひいらぎ》社長から援助を受けていたんだ。柊社長は俺を彼の息子の悟《さとる》と同じように大事にしてくれた。だから……」「だから、少しでも柊社長と悟さんの役に立てるよう、柊社長の会社に就職したってわけね?」 私の問いかけに要は静かに頷いた。分かっている、要はとても真面目な人だもの。そんな風にお世話になった人のためなら、役に立ちたいときっと考えるはず。 だけど、私が本当に気になっているのは……「じゃあ、要が本社に戻って悟さんの補佐に就くっていう話も本当なのね?」「紗綾《さや》の言う通り、柊《ひいらぎ》社長と悟《さとる》にそう望まれているのは本当の事だ。だが、既に決定した話という訳でもない。だから……」「だから、なによ?」 そんな思わせぶりな言い方しないでよ。要《かなめ》が恩人にそう望まれて、簡単に断れるような性格じゃないってことくらい私にだってわかっているのよ? 多分、要は私が必死になって引き止めたりしなければきっと……「紗綾がこれからの事をどう考えているのか、俺はそれを聞きたいんだ」 狡いんじゃないかしら? そうやって、貴方の未来を私に選ばせようとするのは。 私だって貴方に、自分の未来は自分で決めてもらいたい。その上で私を選んで欲しい……そう思っているのに。「私がああしろ、